映画 聲の形が ひどい・胸糞 と言われる理由5つ

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映画聲の形 ひどい・胸糞だと言われる理由
目次

はじめに 映画 聲の形が ひどい・胸糞 と言われる理由5つ

映画『聲の形』は、2016年に公開されたアニメ映画で、原作は大今良時先生による同名の漫画です。

この映画は、日本国内外で高く評価され、多くの賞を受賞しました。しかし、その一方で、一部の観客から「ひどい」「胸糞悪い」といった批判の声も上がっています。
なぜ、この映画がそのような評価を受けているのでしょうか。

この記事では

・映画『聲の形』の簡単なあらすじ
・『聲の形』が「ひどい」「胸糞」と言われる理由5つ

を紹介いたします。

映画 聲の形は、Amazonプライムビデオで配信されています。金曜ロードショーを見逃した方は以下からどうぞ。

\ 原作は全7巻 /

大今良時先生の最新作『不滅のあなたへ』も面白いですよー!アニメ化もされて有名ですね。

▼「聲の形 作者 死亡」とサジェストされている件について、以下記事で紹介しています。

※映画『聲の形』・原作漫画未読の方はネタバレになるので理解の上、お楽しみください。

映画 聲の形 簡単にあらすじ※ネタバレを含む

退屈することを何よりも嫌うガキ大将の少年・石田将也(小学6年生)。将也のクラスに先天性の聴覚障害を持つ少女・西宮硝子が転校してきます。

硝子は「筆談用ノート」でクラスメイトと交流しようとするが、将也たちは硝子をいじめるようになってしまいます。硝子の補聴器が何度も紛失・故障したことで学級会が開かれ、将也が犯人と決めつけられます。将也の母は息子を責めず、補聴器代170万円を弁償します。このことが原因で、将也は逆にいじめられる立場となり、硝子も転校してしまう。中学生になっても将也は孤立し、やがて「自分がしたことは自分に跳ね返る。自分は罪を背負い、罰を受ける必要のある人間である。」との思いから人間不信に陥り自分の殻にこもり周囲に心を閉ざしてしまいます
ここまでが冒頭の話。このあと、時は流れて高校生になった将也が硝子と再会し、物語が動き出します。

映画 聲の形が ひどい・胸糞 と言われる理由5つ

ここからは映画『聲の形』が「ひどい」「胸糞」だと言われる理由を考察していきます。

いじめの描写がリアルで痛ましい

『聲の形』の物語は、小学生時代に聴覚障害を持つ少女・西宮硝子が同級生たちからいじめられるところから始まります。特に主人公の石田将也が中心となって行ういじめのシーンは、非常にリアルで痛ましいものです。硝子が筆談用のノートを投げ捨てられたり、補聴器を壊されたりするシーンは、見ているだけで胸が痛くなるほどです。(個人的には女子たちの直接的ないじめではないが、なんとなくハブいていく雰囲気がいたたまれない。)

また、主人公・石田将也も仲間からも見放され将也はいじめの標的となります。将也が仲間から見放されるシーンや、いじめシーンも胸が痛くなります

このようなリアルな描写が、観客に強烈な不快感を与える原因の一つではないでしょうか。

加害者と被害者の複雑な関係

映画では、いじめの加害者であった石田が、中学生になってから孤立し、自らもいじめの対象となる様子が描かれます。このような逆転劇は、観客にとって共感や同情の感情を引き起こす一方で、「なぜ加害者が救われるのか」「被害者の苦しみが軽視されているのではないか」という反感も招いています。

特に、石田が最終的に硝子と和解し、友達になるという展開に対して、「現実はそんなに簡単に許されるものではない」と感じる人も少なくありません。

重いテーマに対する賛否両論

『聲の形』は、いじめや障害、孤立、許しといった非常に重いテーマを扱っています。これらのテーマは、観る者に深く考えさせられる一方で、感情的に非常に疲れるものでもあります

特に、映画がこれらの問題に対して明確な答えを提示しないため、観客の中には「救いがない」「ただ胸糞悪いだけだった」と感じる人もいるでしょう。

登場人物たちの行動に対する共感の難しさ

映画の登場人物たちは、それぞれが複雑な感情や過去を抱えていますが、その行動が必ずしも理解しやすいものではありません。例えば、石田がいじめを反省しつつも、完全に過去を償えるわけではないという姿勢や、硝子が自分を責め続ける様子などは、観客にとって理解しがたく、共感しづらい部分があります。

このような登場人物の行動が、観客に違和感や不快感を与える原因となっているのかもしれません。

登場人物がくそ (ex「川井を許すな」)

上記、4つの理由を長々記載しましたが、私が一番思ったのがこれ。登場人物がくそ
特に小学校時代の担任の先生の「いじめを黙認」には腹が立つし、作中ではお咎めなしなのが納得いかない(スカッとしない)

また、川井みきは『聲の形』がテレビ放映されると「#川井を許すな」がトレンド入りするくらい、クズキャラとして有名です。(ただ川井も自分が可愛いが故の言動であり、この川井の「自己愛」は物語を進めるうえで重要になってくるため「クズ」だけで片づけたらいけないのですが…。例として挙げさせていただきます。)

他にも「何こいつ!?」というキャラクターがいますが、これこそが『リアルな人間』を描いているのかなぁと。胸が痛くなりました。

ちなみに原作作者の大今先生も「登場人物、全員嫌い」と発言したことで話題になりました。
ただ「単純な嫌い」とは異なった発言ですので、以下引用いたします。

(大今先生が一番好きなのは誰ですか?という質問に対して)
大今「うーん……みんな嫌いです」「だって、私は作者だから。神だから。彼らをどうとでも出来てしまうので、「誰を好き」みたいなことは考えられないんです。どのキャラクターも「自分の分身」だと思って丁寧に書きましたが、だからこそ、私の主観がどのキャラにも入ってしまうので。それは、なんだか気持ち悪い感覚でした」
(週刊少年マガジン 2014年51号より)

単なるキャラクターへの否定ではなく、彼らが持つ複雑さやリアルな人間性を描く中で感じた「作者としての距離感」を「嫌い」と表現したのだと思いました。

まとめ 映画 聲の形が ひどい・胸糞 と言われる理由5つ

以上『映画 聲の形が ひどい・胸糞 と言われる理由5つ』でした。

『聲の形』が「ひどい」「胸糞悪い」と言われる理由は、そのリアルな描写と重いテーマ、そして登場人物たちの複雑な感情にあります

しかし、それは同時に、この映画が非常に現実的であり、観る者に深く考えさせる力を持っていることの証でもあります。賛否両論があることは、この映画が単なるエンターテインメントではなく、観客に何かを問いかける作品であることを示していると言えるではないでしょうか。

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